令和3年10月18日(月)、1年生のSDGs伊豫学では愛媛大学教育学部 川岡 勉先生による「天下統一の時代と伊予」の講義がありました。
愛媛に残っている城は今治・宇和島・大洲・松山城の4つですが、かつては1234もありました。なくなってしまった湯築城と松山城の位置づけや関ヶ原の戦いとの関連等について学びました。
関ヶ原の戦いでは、東軍の加藤氏(松山城)が留守の松山に、西軍の毛利勢が侵攻しました。特に三津、久米、荏原で多数の戦死者がでました。松山市古三津に残る歴史遺産によると、西軍として挙兵した勢力の中に、河野氏(湯築城)の旧家臣たちが含まれていました。これは何故だろう?という問いについて考えました。また、戦死した人々が後々まで記憶され、現在では塚や祠で神として祀られているのは何故だろう?というテーマでも考察を行いました。
歴史の学習では、勝者が作った歴史について学ぶことが多いのですが、地域の目線で歴史を考えることも大変重要です。先人たちの活躍や失敗等を顧みて、誰のため、何のために歴史を学ぶのか、考える機会になったようです。
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